Do not kill anywhere anytime 市民の意見30の会 東京

映画紹介⑤ 「ペルセポリス」

2019

09/12



原作・監督・脚本:マルジャン・サトラビ

「ペルセポリス」

パリ在住のイラン人女性が、自らの半生を描いたグラフィック・ノヴェル(注1)をアニメ映画化した。反体制知識人の家庭に生まれ、幼年から少女期にかけてイスラム革命とイラン・イラク戦争(注2)を体験した主人公マルジは、親類や親しい知人が次々に逮捕拷問され、処刑されるのを見聞しながら成長する。禁書を読み、欧米ロック・ミュージックに夢中になり、教師に反抗する娘の将来を案じた両親は、彼女をウィーンへ留学させる。

ウィーンの高校では、イスラムの国から来た変わり者として孤立するが、落ちこぼれグループの仲間に入り、恋愛やマリファナ、野宿生活、病気など、さまざまな挫折体験の末、テヘランに帰る。再び元気を取り戻し、大学の美術部に入学。しかし故国では、相変わらずイスラム神権政治が個人生活に干渉する日々が続く。女性はチャドルやマグナエ(注3)着用を強制され、ポッチチェリの「ヴィーナスの誕生」の複製にもボカシがかけられる有様。ある日、恋人と車に乗っているところを革命防衛隊に咎められ、デートさえ侭ならない。2人は結婚するが、1年で愛はさめた。彼女は離婚を決意し、家族とも別れて、今度はフランスへ旅立つ。

ひとりの好奇心と活力に溢れた少女が、時代や環境にぶつかりながら成長する物語。若い自分自身に対して適度の距離を保ち、節度とユーモアを忘れないところに好感がもてる。主人公の育った環境はいまの日本人の目には苛酷で特殊なものに映るかもしれないが、表現や服装の自由、プライバシーの保護など私たちが当然と思っている権利さえ保障されていない国は、イランや北朝鮮だけではない。この日本だって、ロダンの彫刻に官憲が布をかぶせるよう命じた頃からまだ80年そこそこしかたっていないのである。1940年代に在郷軍人会や大日本国防婦人会が街頭でやっていたことなど、イランの革命防衛隊といい勝負といえるだろう。そういえば、イラン・イラク戦争のさいの「殉教者」(戦死者)の扱いなど、日本における特攻隊の扱いとそっくりだったらしい。日本の一部に国家原理主義的発想が生き残っている間は、シーア派原理主義を笑えないだろう。

とはいえ、イランを単なる狂信者の巣と見るような偏見にはくみするまい。イランには知識人、ジャーナリスト、学生らから成る民主主義勢力が、度重なる弾圧にかかわらず根強く存在する。03年の選挙ではかつてない数の女性議員が当選した。硬直した原理主義の支配は、決していつまでもは続かないだろう。

これまでに私たちは、世界に開かれた窓ともいえる数々の優れたイラン映画、マフマルバフ、キアロスタミ、マジディらの作品を通じて、この国にすばらしい魅力に満ちた人びとが息づいていることを知ることができた。サトラビのこの作品は、その列に加わった新しい貴重な逸品といえよう。

(注1)原作は16カ国に翻訳され、世界的ベストセラーになったが、イラン国内では発禁になった。邦訳はバジリコ社刊(2005年)。
(注2)1980年、国境をめぐる紛争からイラク軍が侵攻。米国、ソ連共にイラクのサダム・フセインを支援した。戦争は8年におよび、両国合わせて百万の戦死者を出した。
(注3)チャドルは全身を覆う布、マグナエは頭部から肩まで続く学生、公務員の制服。   (2007年12月)

 

(本野義雄)