吉川論文


「日米平和友好条約」、沖縄そして
被災者救援の市民立法をめぐって

                        吉川勇一

 パールハーバー・デイの前日、12月7日、私たち「市民の意見30の会・東京」は、集会を開き、軍事条約である現在の「日米安全保障条約」に代わって、日米間の基本的あり方を示す「日米平和友好条約」の案文を発表する予定です(その原案は本号のニュースに掲載)。これをめぐっていくつか、感じていることを書きます。

 ニュースの前号には、沖縄の米軍用地を強制使用するための法の改悪に反対する「百万人署名」の用紙が同封されています。大田県知事が公告・縦覧事務の代行を受入れ、政府と県の和解が成立したことで、この問題が解決されたかのように扱われて総選挙となったのですが、もちろん、何も解決しているわけがありません。自民党政府は日米安保の強化を大前提としており、社民党もこの内閣への協力を明らかにしています。「百万人署名運動」は、年内を目標に続行されています(まだの方は、ぜひ、事務局宛にご送付下さい)。  その運動の機関紙『沖縄百万人署名運動』の第三号(10月3日号)に、呼びかけ人の一人として書いたことでもあるのですが、この署名は、現在の限られた時期に限られた目標を掲げた運動としては適切なものですが、しかし、あくまでもその限りでの話です。基地の負担の一部が沖縄以外の府県や海上の浮動基地に移されることなどで問題が解決されるはずはなく、また沖縄の人びともそんなことを求めているのでないことは言うまでもありません。

安保体制を問題の表面に

   沖縄県民投票が行なわれる少し前に、テレビの徹夜討論番組で沖縄問題が論じられるのを見ました。司会は田原総一朗氏、出席者には、西部邁氏ら保守派の論客のほかに、沖縄から新崎盛暉、喜納昌吉氏らが参加し、また作家の小田実氏も加わっていました。驚いたのは司会者の姿勢でした。沖縄県民の怒りを伝え、基地の撤去を求める新崎氏らに対し、司会は「では、安保についてはどうなんですか、あなたは安保には反対なんですか」とつめより、「もちろん反対」と答える新崎氏に、司会は、それであなたの立場と主張はすべてわかったという態度よろしく「ああ、そうなんですか」と応じるのです。あたかも日米安保が大前提で、その下での沖縄問題解決こそが議論されるべきで安保に反対するようでは議論にならない、といった空気をその場につくりだしてゆきます。この番組に限らず、マスコミの姿勢はそれです。しかし、安保体制の維持、強化を前提として沖縄を論ずる限り、基地のいくらかの分散化と基地被害への補償としての金のバラ撒き以外に方法はなく、つまりなんの根本解決もあり得ないことは明瞭です。それなのに、安保それ自体が問題の表面に浮びあがらぬように、政府も、また共産党・新社会党を除くすべての政党も、マスコミも必死に抑えつけてきました。

 一方、安保が根本問題だとする運動の側も、それに迫る適切な切り口を見出せないでいます。そうである限り、沖縄をめぐる問題は依然として沖縄の人びとだけにかかわる問題となり、「沖縄の人たちは気の毒だよな」という同情、「沖縄の人たちの運動は盛り上がっているのだ、それに対して私たちは黙っていていいのか」という沖縄の運動への依りかかりの域を出られません。

 同情や依りかかりでなく、沖縄の問題を私たちすべてが自分自身の問題として受け止めるには、私たちすべてが関わらされている日米安保体制、その根幹をなす軍事条約――日米安全保障条約を問題としなければならないと、私は思うのです。

日米両国のあるべき関係

 太平洋をはさんで、ほぼ同時に日米両国で新政府が発足しました。そして異口同音に日米安保体制の見直し、有事に際しての軍事協力体制の強化が唱えられています。

   世界で首位を争う経済力と軍事力を持つこの両国の関係が、太平洋地域のみでなく全世界の政治・経済・軍事の分野で決定的に重要な要素であることは言うまでもありません。

 しかし、この重要な両国関係は、浅井基文氏らが早くから指摘しているように、まったく間違った前提を基礎に組み立てられています。つまり軍事一本です。経済の面では、日本の政・財界はアメリカの政府や企業に対し意見を言い、摩擦も生じていますが、しかしその経済にしてからが、軍事面の日米安保に影響を与えるような対立は厳に慎まれてきました。そしてその軍事の面では、日本政府はひたすらアメリカの世界戦略に寄り添うのみです。つい最近のクルド人問題をめぐるイラクに対する「制裁」攻撃に、一も二もなく直ちに賛意を表したのは日本でした。こうした事態は根本から変えなければなりません。

 60年代後半からのベトナム反戦運動に加わったものたちは、民族独立を求めるベトナムの民衆に私たち日本人を否応なしに対立させているものが日米安保条約であることを、戦争の個々の局面で痛感させられました。「安保がある以上、日本はこの戦争に中立ではあり得ない」と政府は国会で明言し(椎名外相)、そして例えば、米軍から逮捕状が出た反戦脱走米兵を、日本の警察は必死で追跡、捜索しては米軍に引き渡したのでした。基地が集中している沖縄の人びとに、とりわけそれが強く意識されたのは当然です。

 ベトナム戦争に限らず、湾岸戦争であれカンボジア紛争であれ、日米安保は必然的に日本をその戦争に参加させて来ました。国会も何の役にもたちませんでした。これまで日米安保に真っ向から反対してきたはずの社会党までが、党大会に図ることも、民意に問うこともなく、肝心の時にあっさりと安保を認めるに至ってしまったのですから。 私たちは個人の希望や意思にかかわらず、こうした戦争で加害者の立場にたたされます。そうした認識を基礎に、安保を自分たち自身に直接関わる問題として俎上にのせてゆかぬかぎり、沖縄問題はいつまでも「同情」の域を出ることはないでしょう。

 民衆一人一人に重大な結果を及ぼすこの国家間条約を、政府の専管事項としてではなく、民衆自身が決めるべきものとして構想してゆこう、というのが今度の「日米平和友好条約」案を私たちが提案する一つの理由なのだ、と私は考えます。先に述べたとおり、日米関係は世界の中で重要な役割を担っています。私たちはこの二国間関係の断絶などを求めているのではありません。世界に広がっている民主主義と基本的人権の尊重、そして日本国憲法の理念にもとづいて、両国が平和と友好の絆を強めるような関係を築こうというのです。ベトナム反戦運動の中で私たちが学んだあるべき日米関係というものもそうでした。50年代にあった「ヤンキー・ゴー・ホーム」という反米スローガンではなく、私たちは「GI、ジョイン・アス」(米兵士たちよ、私たちと仲間になろう)と呼びかけたのです。

民衆が民主主義を取り戻す運動

 ニュースの前々号には、阪神大震災被災者の人たちが呼びかけている災害被害者への公的支援要求の署名簿を同封しました。この運動の事務局長の山村雅治さんからは、市民の意見30の会の会員の人びとから次々と署名が送られてきているという感謝の言葉が寄せられています。この問題も、沖縄の問題と同様な局面を持っています。紙面が限られているので詳しくは論ぜられないのですが、これも大震災の被害者への「同情」運動ではありません。あの市民立法の法案に明らかなように、同様な被害を受ける可能性のある日本のすべての民衆に直接関わる問題です。私は、自分の住む保谷市の市会議員(生活クラブ、市民の意見30の会・東京のメンバーでもあります)に相談して、この法案を支持し、国会が採択するよう求める市議会決議を提案してもらいました。決議は全会派の賛成を得て、9月の議会を通過しました。全国の地方自治体の中で初めてだそうです。この動きは反響を呼び、保谷市役所には各地の自治体や議員から問い合せや資料送付の要請が殺到しているそうで、11〜12月の定例議会では、これに続く決議が各地の地方議会に提案されることになりそうです。

 阪神地区の問題としてであるかぎり、被災者への「同情」の域をでないのです。いずれは必ず襲うであろう自分の居住地での大災害への対策として考えられるならば、それは自分自身の問題として真剣にこの問題を採り上げることになります。大変な被害を蒙っている民衆が政府によって切り捨てられている(小田実氏の言う「棄民」)という点では、沖縄問題も、震災被災者の問題もまったく同質の問題のはずなのですが、沖縄や安保に取り組む運動体が、この市民立法運動にあまり熱心に取り組んでいない様子が、私にはもどかしく感じられてなりません。 市民立法は、新潟県巻町や沖縄で実施されたた民衆の直接投票と同じく、形骸化された民主主義を主権者である民衆自身が取り戻し、根本から立て直そうという運動ですが、国家間の関係を規定する条約や協定も、その対象とされるべきです。

 12月にひろく提案されようとしている「日米平和友好条約」案は、そうした試みのもう一つの具体化です。その構想について活発が議論が展開されるよう、わたしは希望しています。


 出典:『市民の意見30の会・東京ニュース』No.39 1996.11.30



市民の意見30の会・東京