Do not kill anywhere anytime 市民の意見30の会 東京

映画紹介③ 「ひめゆり」

2019

09/02



監督:柴田昌平
共同製作:沖縄県女師・一高ひめゆり同窓会

「ひめゆり」

「ひめゆり」部隊生存者たちは、自分たちをモデルに描かれたこれまでの映画や小説に不満だった。美化され、演技化されたドラマではなく、ありのままの体験を記録してほしいーそうした彼女たちの願いに応えて、柴田昌平は13年かけて22人の生存者の証言を集めた。

16歳から19歳にかけての、2百数十人のあどけない顔写真が痛々しい。1フィート運動で得られた沖縄戦の実写フィルムを除けば、あとはすべて元戦場で撮影された生存者の証言のみという、禁欲的ともいえる単純な構成だ。その単純さが、作品に力強さと一種のすがすがしさを与えている。

70代後半にさしかかった生存者の女性たちをつき動かしているのは、ほんの数秒、数センチの差で若い生命を失った仲間への罪悪感である。60年以上にわたって彼女らが耐えてきたその重みを取り除く手段は、おそらくないだろう。なぜ彼女らだけが罪悪感を背負わなければならないのか。それにひきかえ、彼女らを含む沖縄の軍民19万人が「米軍の本土上陸が1日でも遅れるように」と命を捧げたそのヤマトの方ではどうだったか。はたしてどれほどの心の負い目を沖縄に対して感じてきただろうか。それどころか、米軍基地の75%を彼らに押しつけておいて、しかもしばしばその事実を忘れるほど不誠実だったのではないのか。

不条理はまだある。沖縄戦開始から3カ月間の「ひめゆり」部隊の死者は19人だったという。しかし、島の南部に追い詰められた6月18日、突如軍から解散命令が出され、少女たちは自決用の手榴弾だけを持って壕の外に出るよう命じられた。米軍の銃弾、艦砲射撃、火炎放射の中をさまよったあげく、数日間に100人以上が亡くなっている。当時の大部分の日本人と同様、彼女らも「戦陣訓」に呪縛されていた。「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」。この狂気の呪縛さえなければ、どれほど多くの人命がむだに失われずに済んだことか。

むだに、とあえて言おう。「今日の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲のおかげであり云々」という決まり文句は、「美しい祖国を守るための尊い犠牲」の再生産を妨げない。沖縄戦は「鉄の暴風」と呼ばれたが、この暴風は天災ではなく、日本軍国主義が始めた不正・無謀な侵略戦争の悲劇的結末だった。私たちがその責任を追及し、過ちの繰り返しを拒否しなければ、彼女らの死は本当に犬死になってしまうだろう。

生存者の一人宮良ルリさんは、「生き残ったのではなくて、生き残されたと思うようにしている」と語る。「亡くなった人たちは教えられたままに、国のため、天皇陛下のため死ぬのが当然と思っていた。でも死の一瞬前には皆『助けて』と言ったんです。それは、生きたかったということなんですね。何としても生きたかった、それを今、私に伝えてくれと言っているように思えるんです」

心ある先生方が、歴史教育の一環として、一人でも多くの中高生にこの作品を見せてくださることを願う。 (2007年4月)

 

(本野義雄)