Do not kill anywhere anytime 市民の意見30の会 東京

憲法記念日に寄せて

2020

05/04

5月3日は憲法記念日。最近、コロナウイルスが蔓延することにより、一部で憲法改正の議論がなされようとしています。
私たちはこの動きに強く反対するものです。今、なされるべきは憲法を変えることではなく、憲法の主旨に沿って現実的な施策をとることだと確信しております。


憲法を活用しよう-平和的生存権、個人の尊厳、生存権を求めて


新型コロナ感染拡大を防ぐために外出自粛や休業が要請され、また学校の閉鎖措置等により、私たちの生活は一変しました。

「感染したかもしれないのに、どこで受診できるんだろう」

「患者の対応に追われ肉体的にも精神的にも限界。これ以上どうやって働けというのか」

「感染したくないから在宅ワークをしたいのに、会社がそれを認めてくれない」

「自粛要請が続けば、会社が倒産する。そしたら、食べていけない」

「仕事がなくなった。明日からどうすればいいんだ」

「ここで休業したら、食べていけない。自分も家族も、従業員たちも皆、路頭に迷う。支援金や補助金は一時しのぎ。全然足りない」

「学校に行って勉強もしたいし、友だちにも会いたい」

「学費が払えない。このままだと学校を辞めざるを得ない」

「在宅ワークに変わった夫が朝からずっと暴言を吐いてる。子どもも怖がっているし、どうしたらいいんだろう」

「集会や講演会がことごとくキャンセル。このままではものをいわない/いえない社会になってしまう」

「いつになったら元の生活に戻ることができるんだろう」

感染とその重篤化、受診、倒産や失業、配偶者や保護者からの暴力、子どもの教育、孤立した生活等々に対する懸念や恐怖心が高まり、先行きがつかめない不安な状況が続くなかで、いろいろなところから悲痛な声が噴き出しています。誰かに相談できずに、一人で不安や恐怖心を抱えて悶々としている方々も多いでしょう。

これ以上の感染拡大を回避するために、行政が適切な措置をとる必要があることはいうまでもありません。一方、行政はその措置ゆえに人々が<恐怖や欠乏>にあえぐことがないようにするための十全な策をとらなければなりません。

日本国憲法前文第2段には次のように書かれています。

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

平和のうちに生存する権利(平和的生存権)とは、このなかで明示されているように「恐怖と欠乏から免かれ」た状況を指します。恐怖とは戦争や武力行使の行使だけを意味するわけではありません。いまの日本はどこかの国と戦争をしていたり、武力を行使したりしているわけではありませんが、上述のように新型コロナウイルス感染拡大回避策の下で、たくさんの人々が貧困-「欠乏」そのもの-に陥り、また現在だけでなく将来の生活に対しても不安や恐怖を覚える生活を強いられています。まさに憲法上の平和的生存権が著しく脅かされている状況だといえるでしょう。 こうした苛酷な現状を改善するためには、行政が「平和的生存権」の存在とその意義に誠実に向き合いながら、憲法24条(家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等)および25条(生存権、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上と増進に対する国の義務)に基づく多角的な施策を拡充していくことが強く求められます。厳しい状況にあるからこそ、一人ひとりの平和的生存権、尊厳、生存権を守るために憲法を活用し、わたしたちの正当な要求を行政に対して堂々と出していきませんか。

清末 愛砂(室蘭工業大学大学院工学研究科準教授)

憲法ネット103のサイトより