Do not kill anywhere anytime 市民の意見30の会 東京

映画紹介⑥ 「花はどこへいった」

2019

10/13


製作・監督・撮影 坂田雅子

「花はどこへいった」

ベトナム戦争初期の1961年以降、米国政府はジャングルにひそむいわゆる「ベトコン」勢力や北ベトナム軍の補給路を断つために、山岳・森林地帯を中心に大量の枯葉剤を散布した。猛毒ダイオキシンを含むこれらの化学剤の散布量は、1966〜1969年を頂点として7695万キロリットルに達したという(注)。

坂田雅子は、肝臓ガンで亡くなったフォト・ジャーナリストの夫の病因がベトナム戦争時に浴びた枯葉剤ではないかとの疑いを抱き、ベトナムを訪れるようになる。そこで出会ったのは、戦後30年を経てもなお様ざまな障害や病気に苦しむ枯葉剤犠牲者たちだった。恐ろしいことに、ダイオキシンの毒性は第3世代にまで及び、今世紀になってもなお奇形の被害児が生まれているのである。

いうまでもなく、こうした被害者の姿を見るのは、誰にとってもつらいことだ。通常の私たちは、あまりに過酷な現実から目をそむけ、その存在を忘れることによって精神の均衡を保とうとする。彼らを直視すれば、「健常」であることの罪深さ、「なぜ自分ではなく彼(彼女)が?」という問いを意識せざるを得ないからだ。

だが、目をそむけてばかりはいられない。WHO(世界保健機構)によれば、枯葉剤に起因する病気に苦しむベトナム人は480万人にのぼる。100万人が高度の汚染を被り、うち70万人が障害児、そのうち15万人は知的発達の遅れや視聴覚障害があり、41%以上が自立した日常生活ができないという。坂田のカメラは、南のメコンデルタ地帯からホーチミン市の病院、北緯17度線近くの元激戦地、北のハイフォン、ハノイまで、各地で苦闘する被害者とその家族の生活を追う。カメラの前でもごく自然に、淡々とふるまう障害児(者)たちは多くの場合、肉親の愛情に包まれ支えられて、貧しくつつましく暮らしているようだった。その表情は明るいとまでは言えないが、決して暗くはない。ある障害児の母親の言葉が胸に残った。「誰のせいとも言えません。戦争なのですから」。彼らが望むのは、日々の介護をほんの少し楽にしてくれる、僅かばかりの財政援助だと坂田は言う。

今年2月、ニューヨークの連邦高裁は、ベトナム戦争枯葉剤被害者の会が起こした訴訟を、次のような理由で再却下した。

①枯葉剤は米国兵士を守るためのものであり、そこに住む人々に害を加えることを目的にしたものではないので、戦争犯罪ではない。
②主権国家である米国は罪を問われない。化学薬品会社は国家の命令に従っただけなので、罪に問われない(後略)。
③300万人のダイオキシン汚染による被害者と枯葉剤の因果関係は証明されていない。

これが、国家犯罪の当事者を弁護する者の論理である。同じ論理に従って彼らはイラクで劣化ウラン弾を撒き散らし、クラスター兵器を大量生産して輸出する。倫理的歯止めのないところでは、核兵器の使用さえ戦術上の選択肢の一つでしかないだろう。
この映画がホワイトハウスやキャピトル・ヒルで上映されるのは、いつの日のことか。

(注:ミー・ドアン・タカサキ(明治学院大学訪問研究員)「ベトナムの枯葉剤/ダイオキシン問題」による)

本野義雄