「市民意見」130号
トピック記事

低線量被曝の時代を生き抜く   (肥田舜太郎)

画像  歳で広島で被爆されてから95歳の今日にいたるまで、内部被曝の脅威と核の廃絶を世 界中で訴えてこられた医師、肥田舜太郎さん。
昨2011年11月15日、たんぽぽ舎での講演の内容を、許可を得てご紹介します。
【写真は筆者 (撮影:大木晴子)】

広島で見た内部被曝の悲惨

 僕は広島の原爆を浴びた人間ですけれど も、具体的にたくさんの患者を血だらけにな りながら治療した場所は、広島市の北、6キ ロの国道沿いの戸坂村です。村の記録によれ ば、被爆して市内から逃げてきた人は、最初 の晩は6千人、翌日が1万2千人、8日が 2万4千人、次の日は3万人になりました。
 診た医者は最初の晩が4人、次の日は8人と いうような形で、後日、医者30人と100人く らいの看護婦の応援が来ましたが、何万人という重症の被爆者にたったそれだけ ですからろくなことはできていません。
 それでもいろんなことを教えられました。最初の3日間は全員やけどで死んだと私た ち医者は皆、思っています。体表面積の3分 の1が焼ければ人間は死ぬと習いましたが、 体の半分以上焼けて絶望的な状況でした。
 ところが4日目の朝から、病気が出始めた のです。診たことのない病気でした。被爆者 たちは、血だらけのまま、村の道路や空き地 に横たわって、野戦病院と同じでした。それ が次から次へと40度の高熱を出しました。鼻 や口、まぶたからはたらたらと出血していま す。口からは顔をそむけずにいられないほど の腐敗臭がしていました。
 重症者たちが指差 すので見ると、やけどのない部

分に紫斑が出 ていました。  それは、血液の病気の末期症状と同じです。むしろに寝かされている患者た ちが苦痛で身をよじり自分の頭を手でなでる と、ごっそり髪の毛が抜けます。毛根細胞ご となくなって真っ白になってしまった頭を、 男も女も自分の吐いた血の中へつけるように して死にました。あと数時間しか生きられな い女の人達が抜けた髪を見て号泣していたの を忘れることはできません。
 人体で細胞の活動が活発なところほど放射 線の影響を受けやすいのです。頭の毛根細胞 が、強烈な放射線によって即死したのです。 数年後アメリカから急性放射能症と名づけら れたと知らされましたが、当時は原因も治療 法もわからず、それらは28歳だった医者の僕 にも、見ていられないほど残虐な死でした。
 それからさらに怖い思いをしたのは、数日 後、「軍医殿、わしゃ、ピカにあっとりまへ んで」という患者がでてきたことでした。
 福 山から広島に救援に入り、48時間働いて倒れ て担がれてきたそうで、紫斑が出ていて、3 日後死んだときかされました。僕らの目の前 で死んだのはこの兵隊1人でしたが、その後、 全国から広島に家族や知人の消息を尋ねて 入った人に同じような発熱や出血の症状がた くさん出たのです。

「ぶらぶら病」の大量発生

 12月に入り、村からの要請もあって、残っ ていた重症者を連れて、山口県柳井市に国立 柳井病院をつくり、移住しました。一切は占 領米軍の許可が要りましたが、敗戦国の軍人 として不愉快な苦労をしました。
 そうこうす るうちに、国立病院ができたというので、山 口県へ逃げていた広島の被爆者がどんどん押 し寄せてきたのです。患者さんの多くは「体 がだるくて動けません」と言って来ます。火 傷もケロイドもなく、一応検査をしても病気 の兆候がないのですが、小指一本動かすのも だるいという。共通しているのは直接、原爆を浴びておらず、爆発後に市内に入市した

と いう点でした。外見は全く正常でした。今か ら思えば内部被曝だったのです。これには『ぶ らぶら病』と名がつきました。
 命名したのは 医者ではなく、患者の家族です。寝てばかり で働けない、病院でも病気と診断されずに帰 される、ひとにわかってもらえない。こんな 症状が、広島・長崎から故郷に帰った人にいっ せいに出たのです。
 内部被曝という言葉はあ りませんでしたから、僕らは患者を『入市被 爆者』と呼びました。

アメリカが封印した被曝情報

 ところが当時の日本の医者は、被爆者を診 たがらなかったのです。それはマッカーサー が占領と同時に、『原爆の被害はすべて米軍 の軍事機密である、だからそれによる病人や けが人は、その経過を家族にも医者にもしゃ べってはいけない、日記に書きのこすことも いけない、違反するものは処罰する』とした からです。
 医者に対しても、『診察はしても いいが、診察結果を記録して残してはいけな い、仲間同士で症状を研究しあってはいけな い、論文の公表も厳罰に処す』とされ、特に 広島、長崎の大学病院は厳重に監視をされま した。それで内部被曝に関する情報は全くな くなってしまいました。
 日本政府はこれを黙 認したので、占領下の7年間、被爆者はまっ たく捨て置かれたのです。敗戦で自分も飢え 死に寸前だった国民には被爆者を顧みる余裕 がなく、少なくない被爆者が飢死しました。
 原爆の投下と被爆者への対応を見て、私はこ の時ほんとうにアメリカを許せないと思いま した。占領下の事実を残すことは、私は生き 残った者の責任だと思っています。
 放射線を浴びると、骨を形成しているリン が放射性リンとなって骨髄での造血作用を妨 げ、血小板が減少して、止血作用が衰え、す べての内臓から出血が始まります。広島で被 爆してむしろに寝かされていた患者さんは、 鼻と口から血を吐き、肛門と陰部からも大量 に下血して、血の海の中で死んでいきました。 放射線の被害のなかに、内科的に殺されてい く内部

被曝はたしかにあったのです。しかし、 治療法がわからない、励ますだけで何十年も 苦しみましたから、内部被曝はないという発 言を聞くと、怒りが湧きます。見もしないで、 何でそんな嘘をつくんだ、と。
 それはやっぱりアメリカの占領の影響です。 アメリカは4年後に広島と長崎にABCCと 名のついた病院を建てた。そこへ患者を集め て放射線の影響の研究を始めたわけです。彼 らは患者を入り口で問診して、原爆投下日以 降に市に入った内部被曝の患者は門前払いに し、後に『内部被曝によって体内にとりこま れる放射線は微量だから人体に害を与えるこ とはない』と全世界に向けて放送しました。 国連も含め世界中がそれを信用したので内部 被曝というものは公には「ないこと」になっ てしまいました。
 しかし、2003年から 闘った被爆者の集団訴訟で、内部被曝という 被爆の有無をめぐって政府と激しく争った結 果、全国の裁判所で、被爆者が完全に勝利 しました。法廷で政府側の証人として出てく るのは、役人と、そして医者です。その医者 が、自分はアメリカ留学で世界最高の放射線 医学を学んできましたという。それに対し私 たちは被爆者一人ひとりの症状をずっと裁判 所に訴えてきました。
 政府の嘘は何ミリシー ベルトなら安全と言う言葉にあらわれていま す。内部被曝に関しては、線量の多寡や強弱は 無関係なのです。内部被曝には閾値(しきいち) はないというのが、世界中の医者の一致した 見解です。

ヒバクシャと開き直って

 「政府のいう数字でほんとうに安全ですか」 とよく訊かれます。しかし安全という医学的 な根拠はどちらの側にもない現在、その質問 には答えようがないのです。私は体内に入っ た放射線は微量でも無害ではありえないとい う意見です。けれども何がどのくらい体に 入ったらだめなのか、または大丈夫なのか、 それをきいて皆さんはどうすることができま すか。
 被曝を避けるために「遠くへ逃げろ」「汚 染されていないものを選んで食べろ」といっ ても、それを何人の人ができますか。誰もが 皆、できないことを最良の方法だというのは 殺人者と同じです。安全かどうかを気にする よりも、放射線が入っても負けない生き方を 学んで実践することが、一番大事なんだと私 は思っています。
 私は30年間、日本被団協(原爆被爆者の全国 組織)の相談所の理事長として全国の被爆者 と一緒に学んだ、「放射能に負けない生き方」 をひとつ、知っています。
 被爆者は2011年3月現在で、21万人が 生き延びています。80歳、90歳を超えて、病 気にならないで元気に生きている人がいるの です。放射線を浴びても全部が病気になるわ けでもないし、死ぬわけではありません。問 題はその後の本人の生き方にかかっていると いうことです。
 免疫が衰えて発病するのを防 ぐためには、本人が自分のいのちの主人公に なって、生活をととのえて生きるしかありま せん。『食事を大切にし、日常の生活を整える』 ことです。
 それにはまず昔からの生活の知恵を大切に することです。
 第一に、早寝早起き。第二に、 三食ちゃんと食べ、主食の米飯は 30回以上噛んで食べる。第三に、便秘と不眠 を防ぐために、決まった時間にトイレに行き、 決まった時間に寝る習慣を絶対につくること です。
 僕たちはこうした何千万年と続いてきた太 陽と共に生きる生活習慣をお金の都合でやめ て、人間の生理と無関係な、金儲けを目的と した社会習慣にどっぷりつかって生きている。

これを直さなかったら、何を勉強しても役に 立ちません。だからまずどう生きるか。自分 が自分の命の主人公になって生きる。これは 日本人にとっては革命です。
 このまま放射能を垂れ流して、僕たちのひ 孫たちに、健康で安全に生きることができな い社会を残すことだけは、絶対にやってはな りません。みなさんの目の黒いうちに原子爆 弾と原発は全部止めて、なくして、きれいで 安全な社会を渡さなければなりません。
 自分で選んだわけでもなくあんな酷い無茶 な戦争をやった、あんな世の中に二度として はなりません。それには日本人は人権を真剣 に自覚しなければなりません。世界の中でも、 日本人は人権の自覚を持たないことで突出し ています。
 明治以降の教育勅語の洗脳がいま だに影響していて、従うことばかりで、自分 の生きる権利を守って、まともに怒ったこと がありません。人間と生まれ、生まれた世界 中に一人しかいない自分の生きる権利を自覚 し、それが侵されたら何よりも先ず、怒るこ とです。日本人はもう少し怒らなければいけ ません。
 皆さんの身体には,もう放射線がはいって しまっています。 53基の原発は、平常運転の 時から、国際的に認められた放射線量を「安 全許容量」として放出してきました。全く洩 らさないことは構造上、できないのです。日 本には全く大丈夫だという人はいるはずがな いのです。だから自分はヒバクシャであると 開き直って、健康を守る精一杯の生活をして ください。
 暮らしのありようを見直し、自分 の時間のうちの何がしかは、人のために使う。 原発をなくし、原爆をなくす運動があったら、 多少の時間でも熱意を持って参加する。そう いう生活をしてください。
 たばこはきっぱりやめること。低線量放射 線の内部被曝に負けないで長生きするのは自 分の努力しかないんだと思ってください。命 を守るのは自分、それが自分だけのためじゃ なくて、人のためにも力を尽くして生きてい く、そういう結びつきの社会になっていけば、 必ず原爆も原発もなくすことができます。

「3・11」の陰で、改憲への動き   (町田伸一)

 はじめに
 昨年3月11日以降に発生した地震と津波に 対する対応の遅れ、そして原発による災害(本 稿では、これらの人災を「3・11」といいます。)は、 私達に、人の生と平安な日常の大切さを思い 起こさせました。加えて、人災の愚かしさと 国策の誤りがもたらす被害は甚大化すること を再確認するきっかけにもなりました。政府 は、正しいことを主張し続ける少ない声に耳 を傾けるべきです。 ところが、反省すべき「3・11」を逆に利 用して、これを改憲の必要性に繋げる暴論が 吐かれています。
 しかし、この危険な動き を、商業メディアはやはり報道していません。 本稿では、憲法審査会でなされている改憲 への議論をご紹介します。

始動する憲法審査会

 2011年10月21日に、衆議院・参議院の 両院で、憲法審査会の第一回会議が開かれま した。
 憲法審査会は、日本国憲法の改正手続に 関する法律(以下「改憲手続法」といいます。) 151条に基づいて国会法を改正し、国会 法102条の6に基づいて、「憲法改正原案、 日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に 関する法律案等を審査するため」設置された 国会の一機関です。
 思い起こしてみれば、改憲手続法は、2007年5月18日に、附則に3つの宿題(@ 投票権年齢を18歳に、A公務員の政治的行為が制限されぬよう、B国 民投票制度の検討) を付し、18項目の附帯決議が

付されて、成立しました。2007年8月に両院に憲法審査 会が設置され、2009年6月には衆議院に 憲法審査会規程が制定され、2010年5月 に改憲手続法が完全施行され、2011年5 月に、参議院に憲法審査会規程が制定されま した。
 2007年以降の私達の運動は、改憲手続 き法に3つの宿題と附帯決議という歯止めを 付させ、また、この4年間、憲法審査会を始 動させない大きな力となっていました。
 しかし、「3・11」の陰に隠れて昨年末ま でに、衆参両院で各4回ずつの会議が開かれ ています。

憲法審査会での二つの議論

 憲法審査会は、憲法を改正する目的の機関 ですから、そこで議論されている内容は、大 方の予想どおり9条の「改正」であり、これ が中心的論点であることは間違いありません。

 しかし、この間の会議では、9条以外にも、 改憲へ向けて重大な二つの議論が頻出してい ます。一つは、憲法 96 条を改正して三分の二 条項を引き下げること、二つ目は、国家緊急 権を追加することです。

憲法96条についての発言

 まず、96条については、以下のような発言 が為されています。
・柿澤未途(みんなの党)
 「改正の発議を三分の 二としている憲法96条を改正して、発議の条件を過半数に下げることも見直しの対象」
・古屋圭司(自民)
 「憲法第96条では、憲法の改正は各議院の総議員の三分の 二以上の賛成で国会が発議するとあるが、ここにある『三分の二』を『過半数』に緩和 することに賛成である」
・関谷勝嗣(元参議院憲法調査会会長)
 「国民に改正の提案を柔軟に行うこと ができるようにするため、国会での議決要件を衆参各院の総議員の過半数の賛成に緩 和すべきである」
・江口克彦(みんなの党)
 「憲法第96条を改正し、憲法改正の要件に柔軟性を 持たせなければならない」

・松田公太(みんなの党)
 「今年の6月に、憲法96条改正を目指す議員連盟の 設立総会があり、私もそれに出席をさせていただきました。(中略)日本だけが65年以 上一度も手が加えられていないというのはおかしいのではないか、政治の怠慢ではない か」
・宇都隆史(自民党)
 「憲法を国民の手に取り戻すという一点に関しても、結 論から申し上げますと、改正要件である憲法96条、これに絞ってこの審査会を当初は 進めるべきだ」
 これらの発言の狙いは、当然ながら、「改正」 を容易にするために、要件のハードルを下げ ようとするものです。実体に入る前にまずは 手続きを簡単にする、というのは、変更に対 する反対論が強い場合にものごとを変えてし まうステップとしての常套手段です。
 なお、松田公太議員の発言にある超党派の憲法96条改憲議連の動きも注視すべきです。

国家緊急権についての発言

 次に、国家緊急権については、次のような 発言が為されています。長くなりますが、国 家緊急権がどのようなものか、どれだけ多く の議員がこれを狙っているかを明らかにする ために、多くを引用します。
・中山太郎(前衆議院憲法調査会会長)
 「大震災への対応の一つとしての『非常事態』条項など、論 ずべき論点は数多くある」
・中谷元(自民)
 「非常事態に関する規定につい ては、本年の東日本大震災を受けて、非常事態規定 を憲法に設けるべきとの意見が有識者等からも出て いる」
・中島正純(国民新党)
 「東日本大震災は、重要 な憲法問題をはらむものであり、とりわけ非常事態 事項を憲法に設けることについて議論することは、 立法府に課せられた責務」
・近藤三津枝(自民)
「非常事態に対する想定が 現行憲法ではなされていない。東日本大震災を教訓 として、非常事態にも十分に対応できる憲法として いかなければならない」
・柴山昌彦(自民)
 「国家緊急権を含め、(中略) 議論をすべきである」
・緒方林太郎(民主)
 「非常事態条項を憲法に盛 り込むことに反対ではないが、ドイツのワイマール 体制崩壊の原因が非常事態条項の濫用にあったこと を認識すべき」
・山尾志桜里(民主)
 「非常事態条項の検討から スタートするのが有力な選択肢である。非常時にお いては国民の生命・財産といった究極の人権を守る ために、内閣総理大臣に権限を集中し、人権を平時 よりも制約することが必要」
・関谷勝嗣(元参議院憲法調査会会長)
 「今年三 月の大震災を経験して改めて感じたことですが、非 常事態に対処する規定が憲法上存在しません。(中 略)国民保護の見地からも国家緊急権を制定化する 必要がある」
・藤井孝男(たちあがれ日本)
 「東日本大震災な どに代表されるように、我が国は大規模自然災害が 多発する国である。(中略)外国

からのいろいろな テロの攻撃等々、国家の緊急事態に際しては救援活 動などのために国民の基本的な人権を(中略)制限 することも必要になってくる。(中略)国家緊急事 態については憲法にきちんと規定を設けていくこと が必要」
・亀井亜紀子(国民新)
 「非常事態規定の創設は、 この今回の東日本大震災の状況を見て早急に必要で ある」
・有村治子(自民)
 「3・ 11 の東日本大震災を受 けて、非常事態に対する事態、国家緊急権というお 話もありましたけれども(中略)憲法によってその 範囲内で国家統治を明確にして、国民生活を脅かす 非常事態に法治国家として立ち向かうということが 極めて大事で(中略)どのような制約が公益を実現 するためにハンディになったのか、あるいはメリッ トになったのかということを(後略)」
・川口順子(自民)
 「今回の原発事故が起こった ときに、急遽セメントで固めなければいけない、コ ンクリートで固めなければいけないというようなこ とがあったときに、我が国政府は今必要な資材を急 遽、徴用をするといいますか、提供をしてもらうた めの権限を持っていない。(中略)これがいわゆる 緊急事態法、あるいは緊急事態に対して憲法が十分 に機能するかどうかという議論」

 露見してしまっていますが、これらの発言 の論法と本音は、以下のようなものです。
 す なわち、@東日本大震災は非常事態であり、 その被害は甚大だった、A被害が甚大となっ た原因は、憲法に国家緊急権規定がなかった ことにある、B国家緊急権を憲法に規定する ことにより、非常事態において、憲法に制約 されることなく、政府は国民の人権を制約す ることが可能となり、迅速な対応を採ること ができる、と。
 そして、その先には、C憲法に、 日本に対する武力攻撃(「テロ」や戦争)を想 定した国家緊急権を盛り込み,平和憲法性を 弱めたい、との狙いがあります。

詭弁と暴論の数々

 この論法の詭弁性は明らかです。
 まず、Aに対しては、「3・11」以後の行 政・立法の機能不全は、情報を隠し、事態を 過小評価した虚偽発言を続け、これにより自 らの行為を縛ったことに大きな原因があるの であり、国家緊急権とは全く関係がありませ ん。また、そもそも、「3・11」以後をのみ 語ることが誤っています。「3・11」以前の、 政府による、原発は安全で安価だからという 虚偽の核政策、高く長くコンクリートを組め ば津波を防げるという誤った公共事業政策こ そが「3・11」の大きな原因でした。
 次に、Bについては、現憲法下に国家緊急 権が存在せず、諸国でも国家緊急権規定を持 たないものが多数あること、そうであっても、 政府が災害に迅速かつ適切に対応している例 を無視しています。
 さらに、@とCに関しては、人間の努力 では避けられない天災(地震、津波)と人為 的に引き起こされる人災(戦争、原発、地震や 津波への備えの誤りや対応遅れ)とでは、その原 因と対処法は全く異なるにも
 

拘わらず、これ を、「非常事態」との上位概念で括ることに より、東日本大震災と「3・11」とを同一視 させて、人を欺く論法です(藤井発言を参照)。  国家緊急権とは、国家に対する制限規範(有 村発言では「ハンディ」)である憲法の効力を停 止する国家の権限です。知られた言葉では戒 厳令というものがあり、明治憲法31条には天 皇の非常大権が規定されていました。また、 2003年の有事三法制定により、自衛隊法 に、有事における労働組合法の適用除外や自 衛隊による国民所有不動産の強制収容等が盛 り込まれてしまっています。
 しかし、もちろん、日本国憲法には国家緊 急権は規定されていません。憲法の効力を停 止する国家緊急権を盛り込むことは、憲法に 自己矛盾を起こさせることです。地震が起こ れば、あるいは原発が爆発すれば(川口発言) 憲法を停止する、などは全くの暴論です。緒 方発言にあるように国家緊急権の害悪は、歴 史上も明らかです。

 おわりに
 生存権、幸福追求権、財産権、平和主義を 規定する日本国憲法は、「3・11」からの復旧・ 復興にも活かされるべきです。これを改正し やすくし、その効力を弱めようとする動きを、 断じて許してはなりません。