(ニュース60号 2000/06/01)


【アメリカの反戦市民運動―Call To Remember―】

緊急アピール

「われわれは忘れてはいない!」

―ベトナム戦争終結25周年を迎えるに当たって―

 

二〇〇〇年四月三〇日は、ベトナム戦争終結二五周年に当たる。

ということは、まるまる一世代の全体が、その後の世代とともに、あの抗争の恐るべき惨事を知らずに生れ、成人に達したというわけである。

だが、われわれは忘れてはいない……

何百万というベトナム人の死者、そして、無辜の人びとの虐殺をかろうじて生き延びはしたものの、傷つけられ、身体にさまざまな障害を受けたさらに何百万というベトナムの人びとのことを。

われわれは忘れてはいない、カンボジアという国家が破壊されたこと、アメリカの対インドシナ政策から生じた大虐殺のなかで殺戮された何百万というその国の人びとのことを。

われわれは忘れてはいない、貧しい農村の上にナパーム弾や黄燐爆弾が雨のように降り注ぎ、あとには焼け焦げた死体と、かつては家族が暮らしていた穴だけが黒々と残されたことを。

われわれは忘れてはいない、ラオスの民衆の半数が、アメリカの集中爆撃のために、何年にもわたって難民として暮らさざるを得なくされたことを。

われわれは忘れてはいない、ワシントンがベトナム人におしつけた「政府」によって、「虎の檻」をはじめ、さまざまな拷問がベトナムの愛国者の上に加えられたことを。

われわれは忘れてはいない、平和に暮らすことを望んでいた人びとに、ワシントンの意思を押し付けるよう命令を受けた米国軍隊が、ミ・ライ(ソンミ)をはじめとする何百という村落で、老若男女を殺戮したことを。

われわれは忘れてはいない、枯葉剤やその他の有毒化学物質が、ベトナムの森林を破壊し、その結果として、四半世紀を経た現在でも、深刻な先天性欠陥が世代から世代へと引き継がれていることを。

われわれは忘れてはいない、病院、学校、橋梁、道路、その他の非軍事インフラストラクチュアを、「石器時代に戻すまで爆撃する」という、ホワイトハウスとペンタゴンが下した政策決定のことを。

われわれは忘れてはいない、南部諸州での人種差別や、この国のいたるところにある人種主義を終らせようと、公民権運動が力を結集している時ですら、わが国の政府は、アフリカ系、ラテン・アメリカ系アメリカ人の比率が不当に高い地上軍を、アジア人に対する犯罪的戦争を遂行する中で、弾丸の餌食として送り込んだということを。

われわれは忘れてはいない、侵略に抵抗するようになった反戦運動が、公民権運動によって活気づけられ、力づけられたこと、そして公民権運動の最も勇敢な指導者たちが、この二つの運動をあわせた立場ではっきりと声をあげるようになったということを。

またわれわれは忘れてはいない、五万八千人以上のアメリカ人―そのほとんどすべては、勤労者階級の息子たちや娘たちだったのだが、一万マイルも離れたところに座す傲慢なものたちの命令によって戦闘のなかに投げ込まれ、生命を奪われたことを。

われわれは忘れてはいない、何十万という帰郷した米兵のうち、重傷を負い、かつ戦争のトラウマによって精神も傷つけられているということを。

われわれは忘れてはいない、アルコールや麻薬の中毒になった人びと、絶望の結果の行為のために投獄された人びと、そしてまた、いまもなお、ホームレスとして暮らしている人びとのことを。

われわれは忘れてはいない、わが国の政府が、こうした復員兵士たちをどのように見捨ててきたかということを。

われわれは忘れてはいない、愛する者が戦場へ送られ、あるいは愛する者がこのひどい愚行に抵抗して投獄されたり、外国に追われたりして、何千という家庭が崩壊させられたことを。

われわれは忘れてはいない、ようやく和平が訪れ、そしてわが国の政府が賠償金でベトナムの再建を援助することに同意したあと、その合意がすぐに裏切られ、そしてついに実行されることがなかったということを。

こうしたすべてのことは、わが国の生活の中に、大きく裂けた傷口を残し、それは決して閉じられていない。

そしてわれわれは忘れてはいない、ベトナム人民が合州国の政策立案者どもの意思に屈することがなかったからこそ、そしてアメリカ人民の大部分がいつまでも続く残虐なこの戦争に反対するようになったからこそ、ついにこの戦争に終止符が打たれたのだということを。

われわれの選んだ指導者たちが、一四年にわたって毎日嘘を言い続けたあとで、何千という抵抗者たちが投獄されたあとで、ケント州立大学、ジャクソン州立大学、その他の大学のキャンパスで抗議する若者たちが殺害されたあとで、兵士たちが戦闘に従事することを拒み、軍隊の内部で反戦運動を組織するようになったあとで、非暴力活動家のティーチ・イン(討論集会)やシット・イン(座り込み)、そして大衆的な大デモなどによって、リンドン・ジョンソン大統領とリチャード・ニクソン大統領にその公職から去るように迫る多数派の勢力が形成されたあとで、―ベトナムの民衆と合州国の民衆は、平和を力で押し付けることができたのだった。

これは、高潔な人間精神の大きな勝利の一つであった。

われわれは忘れてはいない、こうしたことのすべてを。

そしてわれわれは、これからもそれを決して忘れることはないだろう。

それに続くアメリカの政策立案者たちは、われわれにそれを忘れさせ、この戦争を美化し、「ベトナム戦争が念頭から去る」ようにさせ、「ベトナム・シンドローム」を終らせようと努めてきた。だが、「ベトナム・シンドローム」とは、他人の帝国主義的計画のために、殺したり殺されたりすることに対するアメリカ民衆の拒否を意味しているものだ。

権力の大広間に座している男どもがこの戦争から学んだことは、戦争を今「うまく」やってのけるのに必要なことは、空からのハイテク殺戮(可能な場合には、米軍ではなく、その代わりとなる軍隊の使用)であり、経済制裁(それは結局は食糧や医薬品の欠乏による子どもたちの死などをもたらすのだが)であり、家庭に届けられるテレビ・イメージの管理であり、そして米国軍隊の損傷の回避、さらには、それらを「人道主義」と「不介入」の名において行なうことだ、ということだった。

われわれが学んだことは、それとはまったく異なる教訓だった。すなわち、権力の傲慢さであり、諸民族の自決の権利についてであり、政治上の相違を平和裡に解決する必要性についてであり、そして、国際的連帯ということとグローバリゼーションなるものとはまったく別物だということなどだ。

われわれは、戦争を遂行したり、戦争の準備をしたりすることが、国家財政への第一義的要請となった場合、われわれの日常生活、公教育、そして公衆衛生の面で多大な犠牲をこうむるという経験もした。

さらにわれわれが学んだことは、われわれが決意を堅め、組織化され、統一をつくりだした時、われわれの大義が正しいものであった時、選挙で選んだ議員や政策決定者に迫って、われわれの意思に従わせることができる、ということでもあった。

われわれは、アメリカの介入、大企業の利潤と貪欲によって推し進められる外交政策、全世界の人民の権利に対する侵害に反対しつづけることを確認する。

これらは、われわれが、新しい次の世代にそのまま引き渡してゆくべき、記憶であり、道義上の責任である。

われわれは、米国がこの戦争の終結に当たって調印した諸条約を国が履行してゆく第一歩として、わが国政府が、「エージェント・オレンジ」をはじめとする枯葉剤の使用によって起こされた環境破壊や、両国の国民に与えられた健康上の悪影響を除去するため、無条件に、ベトナムと協力してことに当たる決定をするよう要求する。

われわれは、皆さんが、この春のベトナム戦争終結二五周年を迎えるにさいし、われわれと行動をともにするよう、訴える。

(このあと、「ベトナム和平二五周年委員会」の連絡先として、ニューヨークにある同委員会のアドレス、およびレズリー・ケーガン、スティーヴ・オールト、マーリー・ラトナーの三名のEメール・アドレスが記され、緊急アピール「われわれは、忘れていない!」の賛同者の長いリストが続いており、さらにこのリストへの参加やカンパの呼びかけ、各地での行動予定を知らせてほしいという訴え、ベトナム反戦運動の頃の写真を提供してもらいたいという訴えなどが続いているが省略。吉川勇一訳)